親
皆さん、おはようございます。
今日は、暖かな良い天気ですね。
今年は、大雪が降る予想ですので、雪対策をしておきましょう。
私は、両親を亡くしてしまいました。
母親は、74才でしたので少し早かったと思っています、父は83才でしたから平均寿命より少しだけ長生きしました。
亡くしてみると、親のありがたみがつくづく感じます。
生前はよく夫婦喧嘩をしていました。
母親は、祖母との間で意見が合わなく喧嘩をしていました。
父は昔の人なので親に歯向かうことなく祖母の味方でしたので、私がいつも母親の味方をしていました。
その様な事もあり、夫婦喧嘩が絶えませんでしたが、ある日私が18才のころだと思いますが、両親を前にそんなに喧嘩ばかりして、仲が悪いのならば、別れたらと言うと父親に夫婦の事がお前に分かるわけないだろうと、叱られた記憶があります。
でも、私には仲が良いようには見えませんでした。
しかし、母親がなくなった時、父は火葬の日まで母の遺体のそばに寝ていました。
昔の人なので、家庭に対しては恥ずかしい感情があったのではないでしょうか。
私が子供のころは、貧乏で農作業から山の木の伐採の手伝いなどをさせられました。
サラリーマン家族の子供が、一日のお小遣いを100円もらえるのに、私は3日で50円だったと思います。
中学の時は、田んぼのしろかきを耕運機でして、1反部500円もらったと思います。
高校生の時は新聞配達と牛乳配達を掛け持ちで1ヶ月35000円稼いでいました。
木の伐採も日曜日手伝い、1日3000円もらえたので、高校生活は小遣いに困りませんでした。
その様な経験をしたため、母親はこんなきつい林業を手伝い私たちを育ててくれたのだと、成人してから感謝するようになりました。
また、父も時代の流れをくみ、農業から林業に転換していったのだと思います。
その様な経験から、28才で社長になった私は、林業を縮小し木材製品、新建材の卸をはじめ、地代の変化と共に建築土木をはじめ現在の住宅へと変化してきました。
変わる事の大切さを経験から父親は教えてくれたのだと感じています。
不幸を知らない人は幸福も知らない、悲しみうを知らない人は喜びも知らない。