材木屋

こんにちは。

今日もいい天気です。

昨日の続きを書きます。

お客様(大工、工務店)がいないので暇ですから毎日材木を積んで行商に行きました。でもなかなか買ってはくれず、加工の手伝いや建前の手伝いをして人間関係を作り、酒や甘いものなどを手土産に何度も足を運んでいると、奥様が気に入ってくれて、たまには何か買ってやったらと言って注文をもらい喜んで配達したものでした。そうなるとだんだん注文も入り、夕方集金のときなどはお酒と晩御飯をご馳走になりました。(時効ですが今なら飲酒運転で捕まります)

建築の請負もだんだんに増え、大工の親方に手伝いをして教わったことが役にたちました。本当に無駄なことは無いんだなと改めて感じたものでした。

公共事業などにも参入して、2級建築施工管理技師と2級土木施工管理技師も取得しましたが、人生でこれほど真剣に勉強したことは無かったかもしれません。(笑い)

しかし公共事業は談合などがあり、古参業者が仕切っておりどうも私の商売に対する考えと違い、選挙などの応援もからみ、これは私の生きる道ではないと思い4年ほどで指名願いも取り下げ、公共事業からは撤退しました。

それまで材木の小売も順調でしたが、だんだん売り上げも陰りが見え始めました、その理由として、地域ビルダー(アイフルホームなどの単独展示場を持つ工務店)やパワービルダー(分譲建売専門の飯田産業など)が地方にも進出してきて、地場の大工、工務店が仕事を取れなくなって来たことと、ホームセンターが建築材料をバラでも扱うようになったことが大きな原因だと思います。

この頃になると従業員も5人位に増えこれは何か考えないと生き延びられないと感じ始めました。

ここで3回目の転換期です、地元の先輩が展示場を構え旧態依然から脱皮を図っていました、これも出会いで、この社長のことは知りませんでしたが、弟の方(私の2歳先輩)は昔子供の頃遊んでいただきました。ある公共事業をやっている時に知り合い、その人のお兄さんなんだと分かりました。

もう、小売の時代じゃない末端のお客様を自分で見つける時代だと言われ私も同感だと思い、やってみるかと腹をくくりました。

いかに変化に対応するかが生き残る術ですね。

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